2009年10月19日
六連銭or六文銭?
今回は、ミリ物。。。と言っても、
『古ミリ物』です…よ。
歴史上で、、、
イチバン思い入れのある人物といえば、
「真田幸村(信繁)」です!
ヾ(´ε`*)ゝ エヘヘ...
そして「コレ」は、
その『真田信繁の兜』でっす!
ヽ(´∀`)9 ジャ~ン!!
《勝庵:「朱雀」 朱塗鹿角脇立頭形兜 Scale 1/4》

僕は、
6歳から剣道を続けてまして…ね。
( ̄∇ ̄*)ゞ ジツハ...
昔、道場の先生からは、
「真田の旗印、六文銭とは死を恐れずに戦う事」と説かれましたが、
大人になってからは、
「人生を後悔せず生きる事」
…と解釈しました。
ヽ(*`ε´*)9
あ、、、熱く語っちゃいました…?
ゞ( ̄∇ ̄;) ヲイヲイ...
あれ?
軽く…ヒキました?
(*ノ∀ノ)イヤン
まぁ実際は、、、
色んな人に心配や迷惑を掛けたりと。。。
ヾ(´ε`*)ゝ ゴメンチャイ...
「後悔」ばっかりですけど…ね?
・゚・(ノ∀`)・゚・ アハハ..ハ...
…何か?(; ̄ー ̄)...ン?
…何か!? ╬。_。)╬゚Д゚)ゴラァ!
シャーヾ(*`Д´)ノ┌┛Σ(ノ´Д`)ノ キャン!

…とにかく、ヽ(○´3`)ノ
仕事でもプライベートでも、、、
こうでありたいと願う「存在」です。
(〃⌒∇⌒)ゞ アコガレ...
そこで…、
(゚Д゚≡゚Д゚)エッナニナニ?
ついに、買っちゃいました。
( ̄∇+ ̄)v キラ~ン
持病の『ぽっちり病』です…よ。
アヒャ ( ゚∀゚)/п ポチポチ、テシテシ...
本当は、春先の事なのですが、紹介する機会も無く…。
ようやく登場です!
世間では「真田幸村」として知られていますが、
本名は、
「真田信繁」さんです。
Σ(´д`ノ)ノ ソ~ナノ?
父・真田昌幸が、
武田信玄の弟「武田典厩信繁」にあやかって名付けたそうです。
( ゚д゚)ヘ~

若い頃は、
天才軍師であった昌幸の陰に隠れ、無名でしたが、、、
( 」´0`)」オ~イ、ドコ~?
しかし「大阪・夏の陣」において、
徳川家康を「あと一歩の所まで」追い詰めました。
-=≡ヘ(#゚Д゚)ノ オリャ~ァ!!
その後、敵軍(島津)をして、
「日本(ひのもと)一の兵(つわもの)」
…と言わしめし、一躍 世に出た戦国武将です。
(-_\)(/_-)三( ゜Д゜) ス、スゲ~!
そんな彼に心酔し、
真田関連の本を読み漁ったものです。

「大阪の陣」前夜、
信繁が姉に宛てた手紙の一節に、、、
「定めなき浮世に候えば、一日先は知れず候
我々の事などは、この世にあるものと思しめし候まじく候」
~定めのない現世においては、明日の事は分かりません。
私たちの事は、もう生きているものとは思わないで下さい~
…とあります。
「悲壮な覚悟」のように感じますが…。
。・゚・(ノД`)・゚・。
死が今より、もっと身近な時代であった事を考えれば、
「不退転」の決意表明
…であったようにも受け取れます。

唯一、
うちの奥さんも理解を示して、
TV特集などをチェックしてくれます。
「現代ミリ物」にも理解を示してくれると、、、
もっと良いんスけどね…。
ところで、
生まれた子供に、「幸村」と名付けようとした事は、、、
秘密です。
(  ̄ノ∇ ̄) ̄ー ̄)
お立ち寄り頂き、ありがとうございます!
次回もまた、お目に掛かりたいものです。。。
ヾ( ̄◇ ̄)ノ)) バイバイ
『古ミリ物』です…よ。
歴史上で、、、
イチバン思い入れのある人物といえば、
「真田幸村(信繁)」です!
ヾ(´ε`*)ゝ エヘヘ...
そして「コレ」は、
その『真田信繁の兜』でっす!
ヽ(´∀`)9 ジャ~ン!!
《勝庵:「朱雀」 朱塗鹿角脇立頭形兜 Scale 1/4》
僕は、
6歳から剣道を続けてまして…ね。
( ̄∇ ̄*)ゞ ジツハ...
昔、道場の先生からは、
「真田の旗印、六文銭とは死を恐れずに戦う事」と説かれましたが、
大人になってからは、
「人生を後悔せず生きる事」
…と解釈しました。
ヽ(*`ε´*)9
あ、、、熱く語っちゃいました…?
ゞ( ̄∇ ̄;) ヲイヲイ...
あれ?
軽く…ヒキました?
(*ノ∀ノ)イヤン
まぁ実際は、、、
色んな人に心配や迷惑を掛けたりと。。。
ヾ(´ε`*)ゝ ゴメンチャイ...
「後悔」ばっかりですけど…ね?
・゚・(ノ∀`)・゚・ アハハ..ハ...
…何か?(; ̄ー ̄)...ン?
…何か!? ╬。_。)╬゚Д゚)ゴラァ!
シャーヾ(*`Д´)ノ┌┛Σ(ノ´Д`)ノ キャン!
…とにかく、ヽ(○´3`)ノ
仕事でもプライベートでも、、、
こうでありたいと願う「存在」です。
(〃⌒∇⌒)ゞ アコガレ...
そこで…、
(゚Д゚≡゚Д゚)エッナニナニ?
ついに、買っちゃいました。
( ̄∇+ ̄)v キラ~ン
持病の『ぽっちり病』です…よ。
アヒャ ( ゚∀゚)/п ポチポチ、テシテシ...
本当は、春先の事なのですが、紹介する機会も無く…。
ようやく登場です!
世間では「真田幸村」として知られていますが、
本名は、
「真田信繁」さんです。
Σ(´д`ノ)ノ ソ~ナノ?
父・真田昌幸が、
武田信玄の弟「武田典厩信繁」にあやかって名付けたそうです。
( ゚д゚)ヘ~
若い頃は、
天才軍師であった昌幸の陰に隠れ、無名でしたが、、、
( 」´0`)」オ~イ、ドコ~?
しかし「大阪・夏の陣」において、
徳川家康を「あと一歩の所まで」追い詰めました。
-=≡ヘ(#゚Д゚)ノ オリャ~ァ!!
その後、敵軍(島津)をして、
「日本(ひのもと)一の兵(つわもの)」
…と言わしめし、一躍 世に出た戦国武将です。
(-_\)(/_-)三( ゜Д゜) ス、スゲ~!
そんな彼に心酔し、
真田関連の本を読み漁ったものです。
「大阪の陣」前夜、
信繁が姉に宛てた手紙の一節に、、、
「定めなき浮世に候えば、一日先は知れず候
我々の事などは、この世にあるものと思しめし候まじく候」
~定めのない現世においては、明日の事は分かりません。
私たちの事は、もう生きているものとは思わないで下さい~
…とあります。
「悲壮な覚悟」のように感じますが…。
。・゚・(ノД`)・゚・。
死が今より、もっと身近な時代であった事を考えれば、
「不退転」の決意表明
…であったようにも受け取れます。
唯一、
うちの奥さんも理解を示して、
TV特集などをチェックしてくれます。
「現代ミリ物」にも理解を示してくれると、、、
もっと良いんスけどね…。
ところで、
生まれた子供に、「幸村」と名付けようとした事は、、、
秘密です。
(  ̄ノ∇ ̄) ̄ー ̄)
お立ち寄り頂き、ありがとうございます!
次回もまた、お目に掛かりたいものです。。。
ヾ( ̄◇ ̄)ノ)) バイバイ
Posted by いしやん at 12:51│Comments(4)
│その他
この記事へのコメント
ちわちわ!
なのでプレキャリにもパッチが貼ってあるのですね!
なのでプレキャリにもパッチが貼ってあるのですね!
Posted by MOGURA
at 2009年10月19日 14:49

> MOGURA さん
ちはちはッス。
そ~なんです。
覚えてもらっていて嬉しいでっす。
出来れば、
帽子とか、他の装備品にも刺繍で入れたい位ですよ~。
ちはちはッス。
そ~なんです。
覚えてもらっていて嬉しいでっす。
出来れば、
帽子とか、他の装備品にも刺繍で入れたい位ですよ~。
Posted by いしやん
at 2009年10月19日 18:37

最近の戦国ブームでは真田親子大人気ですよね!!
我が家の娘も六文銭大好きですよ!!
六文銭の由来は浪人になてしまい国を追われた身になった時に介抱してもらった
お寺の神主さんが三途の川を渡る時に使えと言ったのが由来でそれから六文銭を
旗印にしたエピソードがありましたね!!
その後は宿敵でもあった、武田家に忠義を尽くし、川中島の合戦では盟友軍師山本勘助を助けに、現在の奇襲でもある内入りを仕掛けて来た上杉勢に遅れを取っても武田騎馬隊を引き連れて完全な負け戦にならず、親子で守りきったエピソードが私は大好きです!!
ちなみに私は武田信玄公も人間そしてリーダーとして戦国武将では大好きですが
実は奇抜な戦術で武田軍を常に上げて来た策士、山本勘助が気に入っております!!
ps:本棚にインカントリーが何気にサクッと置いてあるのが、好感持てます(笑
我が家の娘も六文銭大好きですよ!!
六文銭の由来は浪人になてしまい国を追われた身になった時に介抱してもらった
お寺の神主さんが三途の川を渡る時に使えと言ったのが由来でそれから六文銭を
旗印にしたエピソードがありましたね!!
その後は宿敵でもあった、武田家に忠義を尽くし、川中島の合戦では盟友軍師山本勘助を助けに、現在の奇襲でもある内入りを仕掛けて来た上杉勢に遅れを取っても武田騎馬隊を引き連れて完全な負け戦にならず、親子で守りきったエピソードが私は大好きです!!
ちなみに私は武田信玄公も人間そしてリーダーとして戦国武将では大好きですが
実は奇抜な戦術で武田軍を常に上げて来た策士、山本勘助が気に入っております!!
ps:本棚にインカントリーが何気にサクッと置いてあるのが、好感持てます(笑
Posted by masa at 2009年10月20日 21:13
> masa さん
こんばんは〜。
幸隆の時代ですねっ!
「六連銭」の起源には諸説がありますね〜。
真田一族の発祥自体も不明な点も多く、滋野氏・海野氏とも言われ、、、
いまだに研究が続けられているようです。
いずれにせよ、一族の滅亡を機に、それまで亜流から本流へ…。
氏族から大名への転換を図った幸隆が、敵であった武田に従属する際に心機一転、
それまでの「雁金」の旗印と共に掲げたという説も、お気に入りです。
信繁は、大坂の陣では「六連銭」の旗印は使わなかったとの事ですが、
真田と言ったら、やっぱり「六連銭」ですよね!
逆境の祖である幸隆。信玄に師事した昌幸。その才能が結実した信繁…。
僕の「こうでありたい人」です。(照れ
一般的には地味な存在ですが、
信繁の兄、信之(幸)も真田藩の礎を築き、静かなる熱情の人として魅力的です!
あ、また語っちゃいましたか?
追伸:
「インカントリー」…。
これは語ると長くなるので、また次の機会に、一杯やりながら…。(笑
気付いて頂き、ありがとうございまっす。
こんばんは〜。
幸隆の時代ですねっ!
「六連銭」の起源には諸説がありますね〜。
真田一族の発祥自体も不明な点も多く、滋野氏・海野氏とも言われ、、、
いまだに研究が続けられているようです。
いずれにせよ、一族の滅亡を機に、それまで亜流から本流へ…。
氏族から大名への転換を図った幸隆が、敵であった武田に従属する際に心機一転、
それまでの「雁金」の旗印と共に掲げたという説も、お気に入りです。
信繁は、大坂の陣では「六連銭」の旗印は使わなかったとの事ですが、
真田と言ったら、やっぱり「六連銭」ですよね!
逆境の祖である幸隆。信玄に師事した昌幸。その才能が結実した信繁…。
僕の「こうでありたい人」です。(照れ
一般的には地味な存在ですが、
信繁の兄、信之(幸)も真田藩の礎を築き、静かなる熱情の人として魅力的です!
あ、また語っちゃいましたか?
追伸:
「インカントリー」…。
これは語ると長くなるので、また次の機会に、一杯やりながら…。(笑
気付いて頂き、ありがとうございまっす。
Posted by いしやん at 2009年10月20日 23:29